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山形 銀山温泉


山形県は全市町村で温泉が湧く「温泉天国」です。山形新幹線が新庄駅まで延伸してからは交通手段も便利になりました。最上川舟下りを楽しむ人、松尾芭蕉の足跡を辿る人、そして温泉で身心を癒す人たちが、沢山「山形」を訪れるようになりました。 
その中でも、大正ロマンの香りが漂う仙峡の宿=銀山温泉街には、四季を通して観光客が沢山訪れます。

 銀山温泉は、山形県の東部に位置する尾花沢市の山間にある銀を採掘する鉱夫の湯治場として栄えて来ました。今は大正ロマンの面影を残す古風な建物の温泉旅館が並ぶ温泉郷として、全国的に知られるようになりました。

 尾花沢市は、飛騨の高山・越後の高田と並ぶ「日本三雪の地」といわれる豪雪地帯で、銀山温泉の近くにある花笠高原は市内でも最も雪が多く、冬季には温泉とスキーを楽しむ観光客で賑わいます。銀山温泉は500年もの歴史があります。
奥羽山脈を望む大自然の中で、銀山川を挟んで建ち並ぶ木造の旅館街は、大正ロマンの情緒が漂う都会では味わうことの出来ない別世界です。

 15世紀の頃、銀山で働く鉱夫が、偶然温泉を見つけたのが始めと伝えられ当時は鉱夫たちだけが利用していた温泉でした。

その後鉱山が廃山になり、享保年間(1741年)の頃から湯治場として栄え現在の温泉街に発展を致しました。
銀山川を挟んで建ち並ぶ木造の旅館街

大正2年に銀山温泉は大洪水に見舞われ、大きな被害を受けました。新しく復興された温泉街は大正ロマン風の建築物として現在に残され大正時代の懐かしさが漂う湯の街として栄えています。深山の旅情の彼方に鉱山師と同じ宝の山を夢見て感慨に耽ることが出来る温泉でもあります。

 大正の頃から時の流れを見続ける古風な建築物と、質素で辛抱強く人情駐れる生活を描いたNHK連続ドラマ「おしん」の世界がオーバーラップをして見えるのが銀山温泉です。「おしん」が生まれ育った豪雪地帯の故郷.我慢の極限で生き抜いた逞しい東北のへき地に住む人々に郷愁を抱き日本人特有の情愛が感じる心を打つ何かがあるからこそ多くの人に親しまれているのが銀山温泉なのです。

 豊かな自然と湯量に恵まれた銀山温泉は、四季折々の旬の味覚が楽しめます。


平成11年の冬。まだ雪が積もり白銀の滝への道は雪で閉ざれ見物が出来ない頃でした。
「旅館藤屋」を訪ね、米国カルフオルニアご出身の若女将ジニーさんから流暢な日本語で旬の味覚を聞くことが出来ました。ヤマメの刺身・イワナの塩焼き・馬刺しの霜降りに豆ふぐは逸品でした。若女将のお勧めは.意外にも納豆汁なのが少し可笑しく思われました。

 一歳半ばでしょうか、一粒種の織(さおり)ちゃんがチャメッケたっぷりに花笠を操りながら踊つて迎えてくれました。雪に閉ざされた温泉宿の微笑ましく何よりのおもてなしです。
今では弟が一人いるお姉さんになっているそうですが可愛い盛りだと思われました。

出羽の名湯として名高い銀山温泉は湯量が豊富で細かい湯花が混じった乳白色の温泉でpHは6.8です。温泉街の真ん中に共同溶場があり、和楽足場(わらしゆ=足湯)が出来ました。温泉街の近くには「白銀の滝」や「銀坑洞」があって朝早く爽やかな空気を吸いながら散策を楽しむことが出来ます。昭和60年に国指定史跡になった「塵沢銀山遺跡」は康正2年(1456年)に発見されたと伝えられています。最盛期には島根県の石見・兵庫県の生野と共に三大銀山と呼ばれ、25,000の人がいたと言われていますが元禄2年(1689年)に大崩壊が起きて廃抗になりました。
 

 尾花沢市から日本を代表する民謡「花笠音頭」が生まれています。

 尾花沢市の中心部から銀山温泉に向かう途中に美しい「徳良湖」があります。開田の貯水池として造られた湖ですが、満水を防ぐための土掃き(どつき)作業の際に唄われた「土掃き唄」が、「花笠音頭」として全国に知られるようになりました。

 四季折々の表情のある「静寂な時間と素朴な風情に寝れる銀山温泉」。都会の疲れを心身とも癒す谷間の温泉郷に、お誘いあってお出掛け下さい。
銀山川上流 白糸の滝

銀山温泉アクセス
【バス】 JR東北新幹線大石田駅から
銀山温泉行きバス 終点下車(約40分)
【お車】 山形中央自動車道東根ICから
国道287、13号線、29号線経由で約40?q