src="http://ssc.s185.xrea.com/www.bnavi.info/ginzan/mt-site.js">


« 多田銀山 | メイン | 銀山温泉 銀山荘 »

院内銀山


院内銀山

秋田県雄勝郡雄勝町 院内銀山 (熱水鉱脈鉱床)

院内銀山は慶長11年(1,606年)村山宗兵衛はか3名によって発見されたわが国有数の銀山で、佐竹藩の重要な財源の山であり、同時に天下の御役山としても幕府におおいに重要視された。
元和3年(1,617年)中、すでに1,300戸、7,100人余りの大集落地となり、年々の産銀額も増大し、諸国より遊芸人・文化人も多数入り込み「出羽の都」とまで言われる繁栄を示した。
しかし、良鉱のみを採掘したため一時不況となったが、幸い文化4年(1,807年)より銀山ふたたび大直りとなり、藩においても直営として積極的に援助した結果、天保の頃は発見当初に劣らぬ大銀山となった。特に天保の中期には「天保の盛り山」と称され、年間約3,800Kgをこえる産銀が、10年以上も続く好況であったと言われている。
当時、戸数4,000戸人口15,000人を数え、久保田城下(今の秋田市)をしのぐ程であった。
明治初年、藩より一時小野組さらに工部省に移され、巨大な投資により近代化された。
明治17年(1,884年)古河市兵衛に払い下げされ、この時期、次第に産銀額が増大し、明治中期には実に年間15トンを産出するわが国第4位の大銀山となった。
その後、銀価の崩落と金本位制等によって鉱況がいちじるしく不良となり、ついに大正9年採掘を停止するに至った。昭和初年深鉱所を設置したが、昭和29年(1,954年)全山休山となり約350年の歴史は終わった。