金閣寺 中
●金閣寺の中
金閣寺の中は見学できません。
金閣寺の中の写真は以下URLより見ることができます。
URL[ http://www.shokoku-ji.or.jp/kinkakuji/guide/kinkaku.html ]
●金閣寺の中
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●修学旅行調べ学習リンク集
修学旅行で学習する名所・寺院・施設などのホームページを紹介しています。調べ学習などに利用してください。
[ リンク内容 ]
◆名所・施設のホームページ
・ 法隆寺
・ 東大寺
・ 奈良公園
・ 金閣寺
・ 銀閣寺
・ 二条城
・ 立命館大学国際平和ミュージアム
・ 三十三間堂
・ 清水寺
・ 延暦寺
◆地図や案内のホームページ
・ 神社とお寺のリンク集
・ 奈良へ行こう
・ 京都へ行こう
・ 京都の地図
URL[ http://www2.city.tajimi.gifu.jp/~nemoto/17ryokou/ryokou.htm ]
●金閣寺の歴史
利三代将軍義満は、応永元年(1394年)将軍職を僅か9歳の義持に譲り、翌年自らも38歳の若さで出家しました。これは義満自身9歳の年に父義詮の死に遭い、数々の苦難を経験しましたが南北両朝の合一にも成功し、世の中に太平が回復すると同時に、公的生活から離れてもっと自由な行動を望んだものと思われます。荒廃していた西園寺家の西園寺・北山第を譲り受けた義満は、応永4年(1397年)ここに山荘北山殿を造営すべく工事を開始しました。庭園、建築共に可能な限りの粋をつくしましたが、中でもとくに趣向をこらしたのが、舎利殿つまり金閣でした。応永15年(1408年)後小松(ごこまつ)天皇の行幸を仰いで、義満は盛大な宴を開きましたが、これは北山行幸と呼ばれ、今に語りつがれています。義満は51歳でこの世を去るまでここに住んでいました。義満の死後義持は夢窓国師を勧請して開祖とし、初めて鹿苑寺と名づけられました。
その後、応仁の乱で金閣他一部を残し焼失したが、桃山時代に相国寺の西笑承兌が復興に努め、ほぼ、現在の姿になったという。
しかし、昭和25年、同寺の一僧の放火により全焼した。
●金閣寺
◆参拝時間
午前9:00 〜 午後5:00
◆参拝志納料
大人・高校生400円 小・中学生300円
団体の扱いはありません。
◆交通機関
市バス「金閣寺道」
◆参拝のお問い合せ
[ 鹿苑寺 事務局 ]
〒603-8361 京都市北区金閣寺町1
TEL:075-461-0013
●金閣寺 (文庫) |三島 由紀夫 (著)
全ての文章がしっかりとしたベクトルを持って、強い圧力を伴いながら読者に向かってくるような、そんな小説です。
主人公も老師も柏木も鶴川も、登場人物全員が深い影をどこかに抱えながら、それぞれに影響し合い複雑な小説世界を描き出していきます。
そして、その渦巻く人間関係の中で主人公は「美」の本質について悩み抜き、最後は金閣放火を極限とした行為に向けて突き進んでいきます。
主人公の金閣に対する美の認識は、想像から現実へ、直観から経験へと移り変わりながら、最後は再び夢想的な金閣に対する直観的な行為へと収斂するわけですが、この最後の金閣放火へと向かう主人公の心理描写は見事としか言いようがありません。
金閣という「美」の全てをあらゆる角度と視点から、あらゆる空間軸と時間軸から認識し尽くした主人公が、その「美」へ対する「行為」という形で自分と金閣との関係を昇華(消化?)しようとする心の動きをはっきりと描けること自体、やはり三島由紀夫は天才だったと言うしかないのでしょう。
美の追究の仕方がいかにも三島的であることにある種の嫌悪感を感じる部分が無いとは言えませんが、それでも近代文学における金字塔の一つとしてこれからも確実に読み継がれていく作品であることは間違いないと思います。
こういう「本当の名作」はまた10年後、20年後と時間をおいて何度も何度も再読していきたいものです。
●清水寺
清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある、北法相宗の総本山。山号は音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮上人である。1965年に法相宗から独立。
清水寺は、金閣寺(鹿苑寺)、嵐山などと並ぶ、京都でも指折りの観光名所で、季節を問わず多くの参詣人で賑わっている。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場として古くから知られ、平安時代以来、文学作品などにもたびたび登場する著名寺院である。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所であり、古都京都の文化財の一部として世界遺産にも登録されている。
●金閣寺
金閣寺につきましてはこのブログ内の説明をご覧下さい。
◆参拝時間
午前9:00 〜 午後5:00
◆参拝志納料
大人・高校生400円 小・中学生300円
団体の扱いはありません。
◆交通機関
市バス「金閣寺道」
◆参拝のお問い合せ
[ 鹿苑寺 事務局 ]
〒603-8361 京都市北区金閣寺町1
TEL:075-461-0013
●銀閣寺
銀閣寺は金閣寺とともに相国寺の山外塔頭のひとつで、正式には慈照寺といい、山号を東山(トウザン)といいます。京都の東に連なる山々は東山(ヒガシヤマ)と呼ばれ、如意が岳(大文字山)を中心になだらかに続いています・・・
◆参拝日
年中無休
◆参拝時間
夏季(3/15-11/30)午前8:30 〜 午後5:00
冬季(12/1- 3/14)午前9:00 〜 午後4:30
◆参拝志納料
大人・高校生500円 小・中学生300円
◆交通機関
市バス「銀閣寺道」
◆参拝の問い合せ
[ 慈照寺 事務局 ]
〒606-8402 京都市左京区銀閣寺町2
TEL:075-771-5725
●京都観光
京都市観光協会のページをご確認下さい。
URL[ http://www.kyokanko.or.jp/ ]
●清水寺
清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある、北法相宗の総本山。山号は音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮上人である。1965年に法相宗から独立。
清水寺は、金閣寺(鹿苑寺)、嵐山などと並ぶ、京都でも指折りの観光名所で、季節を問わず多くの参詣人で賑わっている。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場として古くから知られ、平安時代以来、文学作品などにもたびたび登場する著名寺院である。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所であり、古都京都の文化財の一部として世界遺産にも登録されている。
●金閣寺
金閣寺につきましてはこのブログ内の説明をご覧下さい。
◆参拝時間
午前9:00 〜 午後5:00
◆参拝志納料
大人・高校生400円 小・中学生300円
団体の扱いはありません。
◆交通機関
市バス「金閣寺道」
◆参拝のお問い合せ
[ 鹿苑寺 事務局 ]
〒603-8361 京都市北区金閣寺町1
TEL:075-461-0013
●京都観光
京都市観光協会のページをご確認下さい。
URL[ http://www.kyokanko.or.jp/ ]
●金閣寺へのアクセス
JR京都駅から京都市バス[205]系統(北大路バスターミナル行)又は市バス[101]系統(金閣寺行)で金閣寺道下車。
阪急京都線四条河原町駅から京都市バス[205]系統(北大路バスターミナル行)で金閣寺道下車又は市バス[12]系統(立命館大学前行)で金閣寺前下車。
京阪電車三条駅から京都市バス[59]系統(山越行)又は市バス[12]系統(立命館大学前行)で金閣寺前下車。
金閣寺前バス停から参道入口まで徒歩すぐ。金閣寺道バス停から西の方向へ徒歩約5分で参道入口に着く。
■水上勉著 『金閣炎上』/三島由紀夫著 『金閣寺』
(作品は、中央公論社 水上勉全集第六巻 『金閣炎上』及び、新潮文庫ベース 大活字本シリーズ 三島由紀夫 『金閣寺』による。)
昭和25年夏、京都鹿苑寺(ろくおんじ)の有名な金閣が、寺僧の放火によって焼失した。 この事件を扱った小説に、水上勉の『金閣寺炎上』がある。 また、この事件を素材にした三島由紀夫の『金閣寺』がある。今回は両作品を読んでみた。
水上勉の作品は、犯人である同郷の友人林養賢の鎮魂のため、実証性の濃い作品を彼に捧げたい気持ちということで、書かれたものである。 従って、林養賢がどういう理由でこのような行動に至ったかを、筆者(私)なりに追跡調査したものである。
ところが三島由紀夫の作品は、金閣を焼いた本人(私)が、どのようにして、そういうことをしていくことになったかを吐露していく描き方で、一つの事件に対して非常に対比される作品となっている。
三島作品は考え方も、なかなか一般人に理解出来ないような感情を露わにしていて、なるほど三島由紀夫が、ああいう人生の結末を迎えることになったのかと予感させられた。
状況的には、両作品とも共通的な所もあるが、異なる点もあり、実際の所は水上作品の方が実際に即しているのだろうと思われるが、そこの所は個々の作品と見ることにする。
[ 水上作品に見る物語の概要 ]
昭和二十五年七月二日午前三時ちょっと前頃、金閣から火が出た。 犯行は、寺の徒弟林養賢二十一才。まもなく庭つづきにせり上がっている山、通称左大文字山で自殺をはかったが死にきれなかった林が放火をみとめ金閣寺に連行された。
そこには林養賢の家庭環境、金閣寺に弟子入りできた事情、どもりであることの劣等感、禅宗の戒めと住職や執事や副司の人達に対する怒り、母に対する忌み嫌い、裁判での養賢に対する精神鑑定結果などを、色々な人に問いただし、裁判の記録などを使い、筆者の疑問点をただしていくさまが克明に記述されていく。
林養賢の生誕地は、京都府舞鶴市字成生(なるお)である。 筆者自身、京都相国寺塔頭(たっちゅう)の小僧で、高野分教場とよばれる学校にいた頃、昭和十九年八月のはじめ、杉山峠(舞鶴半島)で養賢に出会っている。
林養賢の刑期は七年 (刑期が短いのは、人が住んでいない金閣を焼失させたということで、最重刑でもこれだけ)、しかし刑期中、極度の神経障害と肺結核を患い、刑期終了後も、入院生活を強いられ、昭和三十一年三月七日林養賢は死亡した。
また、父親の道源は、病床に伏しがちで、犯行以前、昭和十七年十二月に結核で死亡していた。 一方、母親の林志満子は、当時仮寓していた京都府大江山麓の尾藤部落から、養賢の犯行直後面会に行ったが、養賢から会うのを拒絶され、失望のあげく帰村する途中、列車から保津峡へ投身自殺した。
[ 感じる所 ]
・観光収入の多い金閣寺の、寺の内の内情が描かれていて、僧界の人間模様もはなはだ一般社会と同様な愛憎が存在することが読み取れる。
また、臨済宗の一般のお寺と違い、観光で十分潤っているお寺であるが故に、禅宗の修行の場である弟子達に、清貧一途の修行道を徒弟に課してきた住職と、現実に行われている住職や、内実を仕切っている人達の行動を見てのギャツプから、そのような中で、林養賢のような人間が育てられるのも、判らなくもない。
・僧門から除外され、亡くなった後、どこかに眠る所がないと救われないと、筆者がお墓を探し求めてみると、やっと父親の実家に志満子と養賢の墓を見つけ出して作品が終わる。このような運命をたどった人の死に、なにかほっとする感じを持ったのは、自分もそういう年齢になったということか。
◇驚きの発見
林養賢の事件記者のなかに、金閣寺住職村上慈海師に会見した、当時産経新聞京都支局員だった福田定一氏、のちの司馬遼太郎氏の記録が載せられている。 会えたのは、宗教担当だったので以前にも会ったことがあり、会えたという。
[ 余談1 ]
昨年天橋立を訪れた際、京都の保津峡を前日に見、天橋立の列車の途中、大江山を見、ふっと感じるところがあったが、この作品を読んで大江山が出て来てなおのこと懐かしさがつのった。 読書の作品の中に訪れたことのある場所とか、感心のある場所が出てくると、その作品がより身近なものとなるものである。
●金閣寺 (文庫) |三島 由紀夫 (著)
全ての文章がしっかりとしたベクトルを持って、強い圧力を伴いながら読者に向かってくるような、そんな小説です。
主人公も老師も柏木も鶴川も、登場人物全員が深い影をどこかに抱えながら、それぞれに影響し合い複雑な小説世界を描き出していきます。
そして、その渦巻く人間関係の中で主人公は「美」の本質について悩み抜き、最後は金閣放火を極限とした行為に向けて突き進んでいきます。
主人公の金閣に対する美の認識は、想像から現実へ、直観から経験へと移り変わりながら、最後は再び夢想的な金閣に対する直観的な行為へと収斂するわけですが、この最後の金閣放火へと向かう主人公の心理描写は見事としか言いようがありません。
金閣という「美」の全てをあらゆる角度と視点から、あらゆる空間軸と時間軸から認識し尽くした主人公が、その「美」へ対する「行為」という形で自分と金閣との関係を昇華(消化?)しようとする心の動きをはっきりと描けること自体、やはり三島由紀夫は天才だったと言うしかないのでしょう。
美の追究の仕方がいかにも三島的であることにある種の嫌悪感を感じる部分が無いとは言えませんが、それでも近代文学における金字塔の一つとしてこれからも確実に読み継がれていく作品であることは間違いないと思います。
こういう「本当の名作」はまた10年後、20年後と時間をおいて何度も何度も再読していきたいものです。
金閣寺の画像があるサイトをピックアップ。
●金閣寺・龍安寺・仁和寺
URL[ www.ne.jp/asahi/yama/hon/gara22.htm ]
●壁紙写真|晩秋の京都(金閣寺・銀閣寺・哲学の道・南禅寺)
URL[ f48.aaa.livedoor.jp/~hokugyo/wp01/kyoto4/index.html ]
●金閣寺
URL[ sophie.nihon.to/kinkakuji.html ]
●金閣寺
URL[ www13.plala.or.jp/purelove057/sub37.html ]
など・・・